椎名林檎的ビフォーアフター [音楽]

東京事変のライブアルバム『東京コレクション』に椎名林檎のセルフカバー“丸の内サディスティック”が収録されている。

“丸の内サディスティック”大好き。オリジナルの“丸の内サディスティック”を収録した『無罪モラトリアム』をリリースした当時の椎名林檎の年齢は21歳。自身と社会との接点が年々増え、漠然たる理想の大人の女性から現実的な理想の大人の女性を模索し始める、そんな女性としての一つの過渡期であり、「夢見る少女」の黄昏期でもある。そんな背景がありありとリリックに反映されている。そこには妄想的で投げやりなカタルシスがある。つまり、日常の抑圧からの解放とそれにともなう快感が妄想的に語られる。椎名林檎らしいエキセントリックな女性像だが、わりとこんな女性は多いのではないかと思う。とても愛くるしいくて、ちょっと本気でドキドキする。

ただ、現在の椎名林檎は、当然ながらとっくにそんな時期は過ぎている。現実とタフにたたかっている立派な大人の女性であり、「夢見る少女の夢であった時期」も過ぎたころ。椎名林檎と同世代であり、同じく人の親である僕の場合、やはり理想の大人云々ではなく、「いかにタフにたたかえるか」に視点がシフトしている。

つまり、彼女のリリックに対峙する角度も当然、変わってくる。東京事変の“丸の内サディスティック”に潜在する意味合いは、かつての妄想的で投げやりなカタルシスではなく、ノスタルジックで自嘲気味なカタルシスに変化している。オリジナルではヒステリックに攻撃的に歌い上げているが、それゆえに、もろく壊れてしまいそうな繊細さもある。対して、東京事変ではノスタルジックにまったりと歌い上げる。アレンジもジャジーで哀愁が漂う。全体的に昔の自分をやさしく見守るかのような強さ、あるいは何らかの確信めいたものを掴んだ女性の強さを感じる仕上がり。

同じリリックで自身のフェイズに合わせて意味合いを更新するセルフカバーなんて、僕は聴いたことがなかった。アーティストとともに成長した曲。等身大を描いたからこそ成せる技。“丸の内サディスティック”をセルフカバーにチョイスした動機は不明だが、そこには必然性があったように思えるし、この変化は確信的。

ビフォー


 

アフター




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